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山陽瓦:瓦歴史年表

『 中国の瓦 』

瓦がいつ頃発明されたか現在も解明されていませんが、中国の陳西省西安の
宮殿遺跡の発掘調査でおよそ2800年前の世界最古と言われる薄手の平瓦が
出土しています。

漢時代:約1900年前

西晋時代:約1700年前

東周の後記(紀元前5〜3世紀)になると、先端に半円形の蓋(半瓦当)がついた瓦が現れ、泰(紀元前3世紀)以降になると、
現在見られる円形瓦当が一般化します。
漢代(前漢紀元前2〜1世紀、後漢1〜2世紀)には、動物文・蕨手文・文字文などが生まれます。こちらには「興天無極」
長寿を祈る吉祥句が飾られています。

明朝時代:約600年前 「鬼龍子」

四神とは玄武(亀)・白虎(虎)・青龍(龍)・朱雀(鳳凰)の四体の瑞獣を指すといわれ、また、麒麟が入り、まとめて五霊といいます。 源流は中国の思想、陰陽五行説が重きをなしています。守護の意味合いをもつ。

清朝時代:約400年前 「紫禁城瓦」

紫禁城の瓦には、黄色の釉薬が使われています。
また中国皇帝の象徴である5本指の龍が型押しされており、
この瓦は、皇帝とその家族が住む紫禁城や離宮にのみ使われました。

『 朝鮮の瓦 』

中国の前漢の武帝は領土の拡大をはかり、朝鮮半島を押さえます。
朝鮮に中国の瓦が伝播するのはこの時からです。

統一新羅時代:約1200年前

新羅は唐と結び、百済を滅ぼし(660)、次に高句麗を滅ぼし朝鮮半島を統一しました。 瓦には顔が人で体は鳥という迦陵頻伽(かりょうびんが)を飾ったりします。

統一新羅時代:約1200年前

新羅は唐文化の強い影響下にあったことは瓦に唐代に流行した対葉形宝相華文(たいようけいほうそうげもん)を盛んに飾っていたころからもうかがえます。

統一新羅時代:約1300年前

この時代、瓦の文様はたいへん賑やかなものとなります。
軒丸瓦には華やかな紋様が飾られるようになり、これに組み合う軒平瓦も作り出されるようになりました

高句麗時代:約1400年前

高句麗の軒丸瓦の紋様には、瓦当面をいくつかに区画するところや、中房に大きな蓮子を1個おくところなどに、漢の影響が強く残っているといえます。

『 日本の瓦 』

日本書記によると西暦538年、古代の朝鮮半島南西部にあった国「百済」から
仏教と共に伝わったとされており、奈良県の飛鳥寺の創建で初めて瓦を使用
されたと言われています。

平安時代:約900年前 「瓦経」

埋経を目的に経文を粘土板に刻んで焼成したもの。

奈良時代:約1300年前 「複弁蓮華文軒丸瓦」

奈良、近畿地方を中心とした造寺とともに地方に広まるまり、平城宮や東大寺など全国に国分寺を建てられました。
それに伴い瓦の製造量も増えました。

鎌倉時代:約800年前 「桶巻き作り」

寺院建築や城郭建築など、日本の伝統的な建築物に用いられている「本瓦葺」ですが、この時代は日本最古の瓦製法の「桶巻き作り」で作られていました。

安土桃山時代:約400年前 「方広寺瓦」

桃山時代になって戦国武将によって城に瓦が使われるようになりました。 この時代の特徴としては家紋を用いることが挙げられます。

本館には古代中国から昭和に至るまでの貴重な瓦を多数展示しております。
瓦の歴史に触れ、日本文化として花開いた瓦の数々をぜひご覧ください。


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