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山陽瓦イメージ画像

山陽瓦:瓦の歴史

瓦の伝来

「日本書紀」によると、日本に「瓦」が伝わったのは飛鳥時代とされています。インドで起こった「仏教」とともに「瓦」も伝来しました。朝鮮半島の百済から「麻奈文奴(まなふぬ)、陽貴文(やんぎふん)、陵貴文(りゃんぎふん)、昔麻帝弥(きまてや)」という瓦工が来日し、「瓦博士」という尊称まで付けたとされています。この4人の瓦博士がわが国最初の仏寺である飛鳥寺(別名:法興寺もしくは元興寺)の造瓦を担当したとされています。この飛鳥寺は、588年に蘇我馬子が造営に着手したとされ、1400年以上経過した現在でも創建当時の瓦を拝見することが出来ます。

当時、朝廷に於いて最も勢力があったのが蘇我氏と物部氏でしたが、538年に百済の聖明王が欽明天皇に仏教の信奉を薦めた事から、進歩派であった蘇我稲目は崇仏を主張し、保守派の物部尾輿は廃仏に固執したため、両者の対立が激しくなっていきました。やがて亀裂は深まり、ついに587年、蘇我馬子は厩戸皇子(後の聖徳太子)とともに挙兵し、廃仏派の物部守屋を打ち破り、日本の仏教受容の道が開かれました。

このような経緯から日本で仏教が奨励されるようになり、それとともに寺院建築が盛んになりました。奈良時代には宮廷建築にも用いられるようになり、「瓦」の伝来から200年足らずのうちに東北・九州まで波及したと伝えられています。
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瓦の歴史

飛鳥時代の粘土瓦は、釉薬を使ったり燻したりしていない無釉瓦(窯変瓦)に属するものです。この頃から江戸時代までの粘土瓦の形状は本葺瓦で基本的にはゆるい曲線の平瓦(女瓦)と平瓦の間を、竹を二つに割った形の丸瓦(男瓦)で覆う施工方法です。本葺瓦を大きく分類すると、玉口式と行基式に分かれ、丸瓦の太さが同じで1本の円筒に葺き上がる玉口式に対し、行基式の丸瓦は水下側が水上側より広くなっており、丸瓦を重ねて葺くので丸瓦の段々が見える納まりになります。現在では行基式は消滅していますが、わが国最初の仏寺である飛鳥寺では創建当時の行基式本葺瓦を拝見することが出来ます。飛鳥時代の平瓦の成形方法は「桶巻式」と呼ばれるもので、桶型に粘土を巻き付けて4枚に切断する方法だったと言われています。丸瓦も基本的には同じで、細い筒状のものに粘土を巻き付け、二つ割にしたものと考えられています。

奈良時代後期から平安時代になると、瓦に代わって檜皮葺(ひわだぶき)や柿葺(こけらぶき)が隆盛となり、瓦の需要は減少します。しかし、遣隋使や遣唐使などの中国派遣で、唐三彩や彩釉陶の釉薬技法が導入され、現在の釉薬瓦(陶器瓦)の元祖「緑釉瓦」が登場します。

安土桃山時代には、中国の明から一観という人物が燻し瓦の製法を伝えたという説が有力です。一観は、織田信長の命により、日本で初めて天守閣を持つ安土城で葺かれた金箔瓦を製作していますが、その時に粘土瓦を燻して作る製造方法も伝えたとされています。また、当時は「布目瓦」が主流でしたが、木型と粘土の間に雲母(きら)粉をふって脱型しやすくする成形法も一観によって伝えられたとされています。

江戸時代には、町屋にも瓦が葺かれるようになったと言われていますが、高価な為に一部の上流階級での使用に限られていました。明暦3年1月18日から20日(1657年3月2日〜4日)にかけ、「明暦の大火」が発生し、江戸の大半を焼失(死者は3万〜10万人)しました。本来なら延焼を防ぐ為には「瓦屋根」が奨励されるべき事件ですが、消火の際に瓦が落ちて危険であるとの理由から逆に「瓦葺き禁止令」が出され、城を中心とする建物以外には葺かれませんでした。しかし、商家の中には禁令に触れない程度に平瓦だけを屋根に葺き詰めた「火除瓦」と呼ばれる瓦屋根も出現したと伝えられています。

延宝2年(1674年)4月8日、日本の粘土瓦の歴史に残る画期的な出来事がありました。近江大津の瓦工である西村五兵衛正輝(後の西村半兵衛)により、本葺瓦の平瓦と丸瓦を一体化させた「桟瓦(あつがわら・さんがわら)」が考案されました。しかし、現在のような桟瓦ではなく、一体化させた丸瓦の上端の径が下端の径よりも広く、平瓦の左側に蝋燭を付けたような「ローソク桟瓦」であり、さらに切り込みを案出するまでは相当の年月が掛かったと考えられています。ローソク桟瓦は、京都の大徳寺玉林院の東司(便所)や大光寺正受院表門南明庵などに現存しています。

享保5年(1720年)、徳川吉宗将軍になると、瓦が防火性に優れていると言われ始め、瓦葺き禁止令が廃止され、一転して瓦は耐水性・耐久性・耐火(防火)性に優れるものとして奨励されるようになります。

享保8年(1723年)には10年年賦の拝借金制度を武士ばかりでなく一般庶民にも適用し、町屋などの一般家屋でも瓦が葺かれるようになっていきました。この制度は120年間もの間続いたといわれており、桟瓦の発明により、ようやく瓦葺き屋根が一般庶民の手にも届くようになりました。瓦の伝来から1000年以上経過して、ようやく一般庶民に広く普及する事になりました。
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工法の歴史

延宝2年(1674年)4月8日、日本の粘土瓦の歴史に残る画期的な出来事がありました。 近江大津の瓦工である西村五兵衛正輝(後の西村半兵衛)によって発明された平瓦と丸瓦が一体化した「桟瓦」により、施工性は大幅に向上しました。

ただ、それだけでは屋根の上に並べても風や地震でずれるため、写真1のように桟瓦の下に葺き土を敷き、瓦が動かないようにする「土葺工法」で施工しなければなりませんでした。

従って、瓦の重量に葺土の重量が加算される事になり、かなり重い屋根になっていました。
土葺工法
写真1 : 土葺(つちふき、どぶき)工法
そこで、明治10年(1877年)頃、工部省営繕課により桟瓦の裏に突起を付けた「引掛桟瓦」が考案されました。

障子の桟に該当する「瓦桟木」を垂木に対して垂直方向に打ち付け、瓦桟木に引掛桟瓦の突起を引っ掛けて、軽量でずれない「引掛桟工法」(※写真2)を開発したのです。

この引掛桟瓦は明治18年(1885年)のロンドン万国博覧会に出品されたと言われています。
引掛桟工法
写真2 : 引掛桟(ひっかけさん)工法

大正12年(1923年)9月1日、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生した海溝型の大地震「関東大震災」が発生しました。

この関東大震災では、多くの瓦が屋根からずり落ちました。当時の瓦屋根は、瓦の下に葺き土を敷き、引掛の無い桟瓦を使って葺き土の上に並べるだけの「土葺工法」でした。関東大震災後に改正された「市街地建築物法」(旧建築基準法)の施工規則のなかに「瓦葺に在りては引掛瓦の類を使用し又は野地に緊結すべし」の一項が取り入れられました。現在では桟瓦と言えば引掛桟瓦の事を指し、瓦桟木に引掛桟瓦の突起を引っ掛ける「引掛桟工法」が標準で、昭和29年(1954年)に統一された瓦のJIS規格にも引掛部が明示されています。

「引掛桟工法」は、瓦を瓦桟木に引掛けるのでずれにくく、葺き土を使用しないので屋根の重量が土葺工法に比べて半分程度になり、耐震性は格段に向上しました。しかし、耐風性能については本葺瓦より桟瓦の方が重なりが少ないため、頭側(水下側)が浮き上がり飛散する事がありました。

そこで、昭和60年(1985年)頃には、九州を中心に「防災瓦」が登場します。防災瓦とは、引掛桟瓦の切り込み部に凹凸を付けて、瓦同士が噛み合う構造としたものです。桟瓦同士が噛み合う構造により、頭側(水下側)が浮き上がりにくく、優れた耐風性を発揮するので台風が多く襲来する九州地方で早くから採用されました。



日本列島は環太平洋地震帯にあるため、頻繁に地震が発生します。その度に倒壊した瓦屋根の家がTVや新聞で報道され、屋根工事業界は瓦屋根の耐風・耐震性能の明確化を迫られてきました。

そこで、社団法人 全日本瓦工事業連盟が中心となり、平成13年(2001年)8月13日に力学に基礎をおいた科学技術的な対応として「瓦屋根標準設計・施工 ガイドライン」を発行しました。そして、建築地の基準風速と、その基準風速で建築物の屋根に影響する風圧力から必要な緊結方法を瓦の形状ごとに検証した「例示工法」で緊結する「ガイドライン工法」が推奨されるようになりました。



ガイドライン工法は、一部の地域を除いて全ての瓦を釘やビス・銅線などで緊結する「全数緊結」が基本となり、緊結材の性能も格段に向上しているので、現在最も優れた工法と考えられています。しかし、釘やビスによって全ての瓦を緊結するという事は、瓦1枚につき1ヵ所〜3ヵ所野地板や下葺材などに穴を開けることになり、結露の発生や二次防水性能の低下などが指摘されています。また、土葺工法には葺き土による断熱性能があり、瓦全体を土で固定するので瓦の上を歩いてもガタつかないなどの長所もありました。それに対してガイドライン工法は、葺き土を使用しないので土葺工法より断熱性能は劣り、瓦桟木に引掛桟瓦の突起を引っ掛けて、釘やビスなどで瓦を瓦桟木に緊結する工法なので、瓦の上を歩くとガタつくなどの短所もあります。また、飛来物などによって瓦が割れた場合は、その破片や周辺の瓦が飛散する事も考えられます。

そこで、ガイドライン工法と土葺工法の長所を増やして短所を減らした「ポリフォーム工法」(※写真3)が開発されました。



ポリフォーム工法とは、平成4年(1992年)にアメリカで開発された2液性の硬質ポリウレタンフォームで瓦同士や瓦桟木と瓦を接着する工法で、風速80m超のハリケーンにも耐えた実績があります。

ポリフォーム工法(接着工法)
写真3 : ポリフォーム工法(接着工法)


釘やビスは必要最小限しか使用しないので、野地板や下葺材などに必要以上に穴を開けず、結露の発生や二次防水性能の低下などの心配が減ります。また、断熱性能があり、瓦全体をポリフォームで固定するので瓦の上を歩いてもガタつかないなどの長所もあります。台風の多い沖縄地方では徐々に普及し始めており、近年大型化している台風に対しても、確実に屋根を守っています。


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